天気 | 体調 | 気分 | 出費 |
---|---|---|---|
曇り | 普通 | 寂しいぞ | \0 |
出発地 | 終着地 | 走行距離 | 走行距離(合計) |
Jさん宅 | Jさん宅 | 0km | 12751km |
2時半に起きたが、誰も起きていなかった。だから今日は昆布干しはなし。
よかった。正直昨日の疲れと、酒がきいてか体がだるかった。
そしてまた2度寝。
5時半に起きると朋ちゃんも起きていた。
どーやら、最後の朝飯食べて、10時のフェリーで一回礼文島寄って帰るらしい。
最後だからと、朝からまた少しウニを食べた。あいかわらずうまいぞこのヤロー!!
飯食べたあと、朋ちゃん以外のバイト3人は昨夜の乾燥機にかけた昆布の撤去作業をひたすらやる。
そして9時くらいになり、朋ちゃんが近所の人に挨拶し終わり戻ってきた。
最後に父さん、母さんと、このバイト4人で写真を撮ろうと決めていたのでみんなで家の玄関の前で撮る。
今日は残念ながら曇りだから利尻富士は隠れて見えなかった。
けどこのどんよりした天気のせいで余計寂しさが増すぞ。
そして写真を撮った後まだ島に残るバイトの男3人でじゃんけんをした。
勝った人が、最後に朋ちゃんをフェリー乗り場まで見送ることになる。
そしたら見事僕が勝ち、母さんと朋ちゃんを鴛泊のフェリー乗り場まで乗せて行くことに。
車に乗り込み、ここでで残った、父さん、バイトの池さん、寺さんは朋ちゃんとお別れ。
みんな笑顔で別れた。
やっぱ笑顔で別れないとね。
けど走り始めすぐに助手席に座っている、朋ちゃんの様子がおかしいことに気がついた。
朋ちゃんはボロボロ涙を流して泣いていた。
僕はそれを見た瞬間、「本当にお別れなんだ。」と改めて実感してすごく胸が苦しくなった。
今まではお別れといっても正直実感なくて、たった1週間だったけど、同じ屋根の下でずっと暮らし、朋ちゃんのことをいて当り前の存在だと思っていた。
それが今日、朋ちゃんはこの島を一人で去る。
鴛泊のフェリー乗り場につき、出航時間まで朋ちゃんはお土産を買ったりしてフェリー乗り場の近くで待っていた。
母さんは「フェリーに朋ちゃんが乗った時点でお別れにしましょう。」と言っていた。
フェリーの別れとはとにかく辛い。
飛行機や車、電車とかなら「あっという間」に去ってしまうからいいが、フェリーはゆっくりゆっくり去るから、それをずっと見ているのが辛くて辛くてしょうがないのだとか。
僕もフェリーのお別れはしたことないのだが、たしかに一番つらいのはフェリーだと思っていたから何も言わなかった。
そしてついに朋ちゃんの口から「では・・・。」という言葉が。
ついにお別れだ。
僕は朋ちゃんの去る後ろ姿をカメラで撮っていた。
そしたら母さんが近づき、僕にはよく聞こえなかったが、何か一言、二言朋ちゃんに言葉をかけた。
その瞬間朋ちゃんの目から大粒の涙が。
母さんも泣いている。
そして二人は抱き合いながら、お互い顔をグシャグシャにしながら泣いた。
あとあと思ったが、まさにその感動的な場面をカメラで撮ればよかったのだが、そんなカメラの存在なんか忘れるくらい僕も一生懸命だった。
泣きそうになるのをずっと我慢してこらえていた。
辛くてしょうがなかった・・・。
そして僕も朋ちゃんと握手をした。
たった約1週間だったけど、朋ちゃんに会えてよかった。旅をしなければ出会えなかった。
そう思うとやはり僕は旅に出てよかった。
朋ちゃん、いい人生を送れよ!!
また会おう!!
朋ちゃんがフェリーに乗り込むのを見届けると、僕と母さんは出港まで待たずにその場を去った。
この僕がお世話になっている家は、もうかれこれ10年近く同じように、この時期住み込みのバイトのコたちを雇っているらしい。
今までにいろんな子がいたし、色んな出会いや別れがあったらしい。
だけども何度も別れの場にいても、これだけは慣れることはないと、母さんは帰りの車の中で言っていた。
気付けば僕もこの家の一員になっていた。
そしていつか僕も同じくこの島を去るときがくる。
そのとき僕はどんな別れをするのだろう。
そして僕は何を思うのだろう。
帰ってきてフッと何気なくカレンダーをみたら「8月1日」の文字が。
そうか。今日から8月なんだ。
もう真夏だ。
いつもだったら、地元栃木は35度以上、いや40度くらいの気温で死にそうになっている時期だ。
しかしこの島は全然暑くない。今日も気温は18度くらい。
いつもと違う夏。
僕はこの島で色んなことを経験させてもらっている。
そして、そんな島の生活も少しづつ慣れてきたと思う。
だけど別れだけは慣れないな・・・。
辛いや。