DIARY

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前の日          2009年11月1日(日)           次の日

天気体調気分出費
 雨   普通   うーん   \2520 
出発地終着地走行距離走行距離(合計)
 道の駅芸能とトキの里   道の駅芸能とトキの里    151km  20463km 

200日目・新潟 〜嵐のような佐渡〜

昨夜この道の駅で僕以外車中泊してる人はいなかったみたいだ。

ここに来たことある人なら分かるかもしれないが、けっこう田舎なので夜になると耳が痛くなるくらい静かなのだ。

だけど今日風の轟音で目が覚めた。

やはり今日は荒れ模様みたいだ。

だけど外の様子を覗いてみると、風はやばいがまだ雨は降っていない。

じゃあ今のうちにってことで急いで朝の支度をして、車に乗り込みエンジンをかける。

その瞬間雨が「ザー!!」・・・。




なぁ!?どーせそーなると思ったよ。




雨降ってきちゃったならもう急ぐことはないと、朝飯を食べることに。

今日の朝飯は、いや、「ぶれいくふぁーすと」は昨日買ったヨーグルトとフルーツミックス缶のフランスパリにいるのではないかと思うようなかんじ。

朝からおしゃれだね。

だけどこれだけでは足りず、しょうがなく納豆を1パックそのまま食べる。

さっきまでパリにいたと思っていたが、納豆を食べた瞬間現実の世界に戻される。

ここは「佐渡」だ。




さて天気も悪いがとりあえず今日の予定を決めた。

今日はまず金山を見に行き、そして佐渡をR350で真っ二つに分けてその北側の半島の海岸線沿いを走ってみよう。




佐渡に唯一走っているR350を相川方面に走ったんだけど、なんだか島って気がしないくらいこの通りは栄えている。

TSUTAYAに牛角、ブックオフにシュープラザ、ホットもっと、とありとあらゆるお店が軒並み連なっている。

なんだ、全然離島じゃねーじゃん。と、なぜか佐渡の都会化をあまりヨロシク思わない僕がいる。

R350

そして佐渡金山に到着。

チケットを買いに行くとお姉さんに「江戸」と「明治」どちらがよろしいですか?と謎の質問をされる。

イチゲンサンの僕には、まったくもって意味がわからないので、負けちゃいられないとばかりに質問をし返す。

「その江戸と明治ってなんですか?」

だけどその僕の質問は多分ここに来た人みんなしているのであろう。

お姉さんはひるむと思いきや、機械染みた何百回も言ってきたんであろう「江戸」と「明治」の説明をしだした。

なにやら「江戸」はこの坑道の中を歩いていろんな人形とかを見たりすることができる。

だけど明治は人形はいなくて、しかも外らしい。

それを聞いて僕は即答で「江戸」にした。

まずこの雨の中、外っていうのが嫌だし、暗い坑道は絶対見たいし、なにより人形見れなきゃつまんないでしょ!!

ってか最初っから分かりやすく説明しろよ!!




そのあと僕の後ろに並んでいたオッサン連中がお姉さんに向かって「じゃあ平成で。」とふざけて言っていた。

お姉さんは鉄のような表情で「江戸と明治しかありません。」と相変わらず言葉少なめに言っていた。

「じ、じゃあ江戸で・・・。」と一発KOのオッサン。

あのお姉さんとだけは口喧嘩はしたくない・・・。

入口

佐渡銀山は1601年に発見されて徳川家康の手で開発された。平成元年3月末採掘が中止されるまで約400年間掘り続けられ、鉱山としての寿命が長かったことは世界でも珍しい鉱山である。江戸時代には徳川幕府の財政を支えたとも言われ、17世紀当時の金、銀の生産額は南米のポトシ鉱山(ボリビア)やサカテカス鉱山(メキシコ)などと並んで世界でも屈指と言われた。

最初は地表に露出した鉱脈を掘っていたのだが、坑道掘りの技術は石見国(島根県)からきた鉱山開発者に伝えられ、それにより出鉱量と増大させたらしい。

つまりこの石見国の技術者とは、あの今では世界遺産となった石見銀山で掘っていた人なんだろう。

石見銀山で思い出したが、ここも今世界遺産登録を目指している。

だけどなかなか世界遺産登録は難しいみたいだ。

まぶ

だけどこの鉱山の中の人形の出来は素晴らしく、いろんなとこに配置されている。

それに以前見た網走刑務所の人形と違って、動きもわりかしスムーズでなかなか楽しかった。




「早く外に出てーなー。酒も飲みたいし、女にも会いたいし。」

と人形が喋るんだが、そのとき団体のおばちゃんがたがいっぱいきて、その人形に「会いに来たわよぉ」と甘い口調で言っていた。

これにはいくら人形とはいえ、たじたじだ。

人形 人形

そのあと資料館みたいなとこに行くのだが、そのなかに12.5キロの金塊がひとつ箱に入っていてそれを狭い手を入れる口から見事出せたらプレゼントというのがあった。

一人の男性が惜しいとこまでいったのだが、やはりそう簡単には取り出せないらしい。

手を入れる口も小さいし、なにより片手で12キロの純金を持ち上げるのが容易ではないみたいだ。

がんばる

そして残念ながらその挑戦に失敗したとき、一人の初老の男性が「おやおや、やってますね。」と言いながらきた。

男性が失敗したのを見てその初老は「これ私が取ってもよろしいのですか?」と言い始めた。

男性は「出来るものならな取ってみてください。」と軽くお前なんかには出来るわけないと言わんばかりの表情でその場を去った。

すると初老は腕をまくりはじめ、やる気まんまん。

「あんな取り方じゃ取れるわけないんじゃよ。」と軽く毒を吐く。

なんか初老に言わせるとこれは力任せに取るんではなく、頭を使って取るらしいのだ。

そして初老はテコの原理を利用して取ろうと試みる。

そしてついにあとはそのテコの原理を利用して金塊を持ち上げるだけ。

と、いったところで金塊の動きが止まった。

そして初老の動きも止まった。

いや、正確には初老は動いている。小刻みにプルプル震えている。

だが一向に金塊は持ち上がることはなかった。




あの初老の5分前の自慢げな表情とは打って変わって、10歳は歳をとってしまったかのようにフラフラしながら恥ずかしそうに部屋を出て行った。初老おつかれ。

一応目隠し初老

佐渡金山のシンボルの「道遊の割戸」というのがある。

これは金を採取するのに削っていって山を割ってしまったのだ。

道遊の割戸

そのあと海岸線をずっと走る。

途中夫婦岩というこの島で有名な奇岩があるので寄ってみた。

全国夫婦岩というのはたくさんあるが、これほど男女の特徴を兼ね備えた威容は他に類をみないという。

まじで!?と超興味津津で見たが、女は分からないでもないが男はよくわからないぞ。

夫婦岩

その夫婦岩の横に「めおと岩の契り」という南京錠とか二人の愛の形の鍵ををいっぱいつけたり出来る場所があった。

どれどれ!?とその愛の形を見たが・・・。










ひとつ。










ひとつ








ふたつ。










ふたつ














以上。










・・・。













って少なっ!!










超人気ないじゃん!!!

しかも二つ目なんてサビまくり!!




この少なさには思わず笑ってしまったよ。

多分これを作ったときには相当鍵で埋め尽くされることを想像していたんだろうな。

がんばれ夫婦岩!!

めおと

このころからものすごく雨風が強くなってきた。

ここら辺は奇岩が多いらしく場所についていざ外に出ようとした瞬間、ドアが「バキっ!!」と反対側に持っていかれてドアぶっ壊れるかと思うくらいスゴイ雨風で外にとてもじゃないけど出れなかった。

日本の渚100選に選ばれる尖閣湾もはっきりいってなにがいいんだか分からない状態。

ほんとは海とか綺麗なんだろうけど時化まくりで色なんて分からない。




でもとりあえずこの北側の半島は一周したいし、佐渡の北端にたつ弾埼灯台は見たかったので、がんばって灯台まで歩いた。といってもすぐ近くまで相棒停めたのだが。

この弾埼灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」というまったく知らない映画の舞台にもなった灯台。

なにやらこの島で一番人気ある灯台らしいが、もちろんこの天気で人っこ一人おらず、なんとも寂しい雰囲気を醸し出していた。

佐渡のパンフレットの写真で見たら青空の下すごくキレイに見えたんだけど実物はこの天気のせいもあってそんないい灯台には見えなかった。

弾埼灯台

そのあとはまた両津まで戻り、ほんとはなんか自炊でもしようと考えたがこの雨と風。性格に「M」のかけらもない僕は、こんな中とてもやる気なんて起きるはずもなく、またフレッシュマツヤに買いに行く。

そしてまた味はものすごくしょっぱい温泉に浸かり今日はこんなかんじ。




あーほんと台風みたいだな。

明日も変わらずの天気みたいだし、しかも明日からグッと気温が下がるらしい。

佐渡全然満喫できないじゃん!!




あーまいった、まいった。




そーいえば今日は11月1日。

そしてなんと旅を始めてちょうど200日。

200日かぁー。




・・・。




ってか200日ってすごくない!?




200日も旅してんだ!?




あれからもう200日も経ったんだ。

信じられないくらいあっという間だ。




一日一日の積み重ねといえど、やはり200というちょうどの数字を目の前にすると感慨深いぞ。




さて、僕はあと何日旅が出来るのだろう。