天気 | 体調 | 気分 | 出費 |
---|---|---|---|
晴れ | 普通 | 普通 | \5270 |
出発地 | 終着地 | 走行距離 | 走行距離(合計) |
道の駅豊栄 | 道の駅喜多の郷 | 182km | 20818km |
6時過ぎに目が覚めた。
うーん、寒い。
寝袋から出たくない。車の中は意外に冷えるもんだ。
でもいつまでも寝てるわけにはいかないので、意を決して外にでる。
そこには久しぶりの青空。今日はいい天気になりそうだ。
いつものことだが天気がいいだけでとてもその日一日いい気分になれる。
単純と言えば単純だが、これけっこう大事。
朝の支度をして、またこの豊栄のフリースポットでパソコンをカタカタやって日記をアップする。
またこの道の駅のおじさんと佐渡話をして出発だ。
まず今日行くのはもちろん県庁。新潟県庁だ。
だけどこの新潟県庁がとてもよかったのだ。
まずはいつも通り写真を撮る。そしたらこの新潟県庁石碑がベストな場所にあり久々の最高の1枚が撮れた。
ここまで県庁と石碑がうまい具合に一枚の写真に収まったのはいつぶりだろうか!?もしかしたら最初の群馬県庁以来か!?
そしてまたいつものごとく総合案内の受付のお姉さんに「新潟といったら」を聞きに行く。
そしたら「お酒ですかね。」だって。
いやっほう。その通りだよ!!僕も新潟といったら酒(日本酒)または米かと思ったよ。
さすが全国ナンバー1の日本酒の消費量の県。そうではなくちゃ。
そしておススメの日本酒とかを聞いたりしたのだが、この受付のお姉さんがとてもいい人で、とても親切に色々教えてくれた。
大場さん(名字OK)というとても美人なお姉さんで、以前も何度も言ったがここまで親切にされると、この新潟県自体の印象がすごくよくなる。
もちろん、県庁の受付のお姉さんに感じ悪い人は一人もいなかったんだが、何度も言うが最後の栃木県庁の受付の人も是非ともこうであってほしい。
あまりにもかんじがよくて、色々親切に教えてくれたり、おススメしてくれるものだから、初めて県庁の受付のお姉さんに僕のこの日記のURLが書かれているアドレスを教えてしまったくらい。
新潟って交通マナーはあんまよくないなって思ったが、なんだかんだ人は親切で優しい県なのかもしれない。
じゃあお姉さん行ってきます!!ありがとー!!
さてちょっとお土産を買いたかったので新潟駅に向かう。
新潟のお土産と言ったら、そう。さっきも出たが日本酒だろう。
酒好きの僕としては「新潟の酒」と聞いただけでヨダレがでてくる。
パブロフの犬である。
ちなみに余談だが、「ナース」と聞くだけでドキドキしてしまう。
これもまたパブロフの犬なんであろう。
お土産コーナーの近くにそば屋を発見。
実はいとこが新潟に一時期行っていてそんときに、新潟のおススメ情報をもらったのだ。
そのそば屋が何気にうまいという話だったが、値段を見たら1000円オーバー。
値段が同じくらいなら、今の状態なら迷わず僕は「羅言」に行く。
もう頭の中は「羅言」の「石焼き海鮮丼」でいっぱいなのだ。
実はその「羅言」という店はさっきの県庁のお姉さんのおススメで、実は最初いとこのおススメの古町ってとこにあるおにぎり屋の「越後屋」に行くつもりだったのだが、親切なお姉さんが調べてくれた結果、越後屋は夜の6時オープン深夜2時クローズなのである。
なんだそりゃ!?おにぎり屋さんがなんでそんな深夜体系で営業してるんだよ!!
朝から夕方までに変えろよ!!
さすがにそんな夜中におにぎりを食べに行けないので、そのときお姉さんに美味しいお米の食べられるとこっていうので「羅言」を紹介してもらったのだ。
僕のイメージで県庁のお姉さんのおススメのお店にハズレはないのだ。
やはり観光雑誌とかに乗っている店より、舌の肥えた地元の人に聞くのが一番。郷に行ったら郷に従えだ。
そんなこんなで「羅言」到着。
古町ってとこの金寿というホテルの2階にあるお店。
ちょっと高級感あふれる和食のお店。
ランチの時間だが入って行くのは金持ちそうなおばちゃんのみ。
ちょっと入りずらかったがお客を選ぶような店ではないから大丈夫だろうと入店。
そして席に着くなり、メニューを見ずに「石焼き海鮮丼」を注文。
最初はこの店に似つかわしくない若者一人の来店にお店の若いバイトの人は「?」ってかんじだったが、メニューも見ずに決めたのを見て僕を見る目が変わった。
「この人常連だ!!」って。
そしてようやく「石焼き海鮮丼」がきた。うまそうー!!
常連だと勘違いされたが、この混ぜ方もわからぬ素人っぷりを見せバイトの人に混ぜ混ぜしてもらった。
熱っつ熱っつのままほおばる。
おぉうまい!!めちゃくちゃ美味い。火加減(?)もちょうどよく、かりっかりのオコゲの部分が香ばしいし、やはりお米が美味しいのか軽くモチっとしていて美味しかった。
野菜や海鮮の具も豊富で大満足だ。
ジュースや茶わん蒸しも出てランチだからか値段は1350円。
この味ならこの値段でも出してもいいと思う。
あー美味しかったぞ。
さて美味しいものを食べた後は眠くなる。これ自然の摂理である。
だが寝ている暇はない。
R49に乗って福島を目指すのだ。
なにげに時間がかかってしまい着いたのは4時半。
急げ急げーってことで着いたのは飯盛山。ここは白虎隊自刃の跡やお墓があるのだ。
でもとりあえずまずは時間が5時までなので白虎隊資料館に行く。
この福島の会津藩は以前京都守護職といって京都の治安を維持したりする仕事を与えられていた。
そのときに「八月十八日の政変」というそれまで京都をある意味支配していた尊王攘夷派の勤王の志士たち(おもに長州藩)を薩摩藩と組んで京都から追い出すことに成功したのだ。
だがまた時代は変わり坂本竜馬や中岡慎太郎(5月12日参照)の協力を得て「八月十八日の政変」から特に仲が悪くなった「薩摩藩」と「長州藩」が薩長同盟を成立し、今度は共に徳川幕府軍を倒そうとしたのだ。
だけどそれを阻止するために竜馬が考えた徳川幕府が政権を朝廷に返上する「大政奉還」というのが成立した。
無事戦が起こらず明治時代がくるかと思われたが、政権を朝廷に返上しても「徳川幕府」が「徳川藩」になっただけで、やはり徳川の影響が大きいことは変わりないので結果薩長の新政府軍と徳川の旧幕府軍の戊辰戦争というものが起こってしまった。
そしてこの会津藩は京都守護職で勤王の志士たちや長州藩とかを摘発しまくったので、やはりそれを怨みをもつものが新政府軍には多く「戦犯」として、薩長の新政府軍と会津戦争が起こってしまう。
そのときに会津のまだ10代の若い子どもたちも戦いに送り出された。それが「白虎隊」だ。
だが、会津藩の武器は旧式の火縄銃とかがほとんどで、薩長の新政府軍は数でも勝るうえに装備も新型のライフル銃や大砲などを多く装備していてとても太刀打ちできるものではなかった。
結果どんどん新政府軍に攻め込まれて、白虎隊も後退しながらこの飯盛山についたが、ここで自分たちの最後の砦の城が燃えているのを見て、これ以上戦うのはやめようと、腹を切ったり喉を刺したり、お互いに刺し違えたりしてみんな自決してしまったのだ。
これが白虎隊の悲劇だ。
上の文章みると薩摩藩はけっこう敵味方をコロコロ変えたりしているが、時代の流れっていうのもあるがやはり薩摩藩は薩摩藩で信念がある。
有名な新撰組だってある意味坂本竜馬の敵ではあるが彼らは彼らで己の信念を貫いてこの幕末を生きたわけで間違っているともいえない。
僕はやはり坂本竜馬が好きだが、このときみんなそれぞれに想いや信念があり一概にどれがよくてどれが悪いとは言えないと思う。
やはり幕末はとても深い。
白虎隊やこの時代の流れを簡単に言うとこんなかんじ。幕末に詳しくない人にも分かりやすく説明したがついてこれただろうか!?ってか説明ちゃんとあっているかが心配。
ここにはとても貴重な品々が展示されてあった。だが時間がなくゆっくり見ることが出来なかったのが悔しいな。
そのあと急いで自刃の跡やお墓を暗いなか見に行った。
そしてこの景色が白虎隊が最後に見た景色らしい。
どんな思いで自分たちの城が燃えているのを見たのか、どんな思いで自決するとこを決めたのか僕には想像がつかない。
でも前も鹿児島の知覧特攻会館を見に行ったとき思ったが、今は想像つかないが、自分がもしその立場になったら同じことをしてしまうと思う。
やはり当たり前だし、ありきたりだが平和な世の中が一番いいと強く思った。
さて喜多方市近くの寝床の道の駅を目指す。
昨日風呂に入ってなかったので、今日の道の駅は温泉併合の場所を選んだ。
だが着いてみたら、毎月第一水曜定休日。の看板が・・・。
1ヶ月約30日あるなかわざわざ一日しかない定休日にここにきてしまった・・・。
くそー温泉はいりたかったぞ!!!
さて福島だ。もう一日くらい新潟いてもよかったかなと思ったが結果福島入りしてしまった。
ってかもう福島なんだ。
ついに栃木の隣の県まできてしまった。
帰る気になればもうその日のうちに帰れる距離だ。
だがもちろんまだ帰らないけど。
だけど正直お金もそろそろ底に着き始めている。
昆布バイト後のなんでも食っちゃえ!!っていうのは出来なくなってしまい、出すとこは出す。絞るとこは絞るっていうふうにしていかないと。
ってことで今日の夕飯は柿の種とビールだけ!!